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2017年 01月 05日

千年檜 (奥多摩 倉沢の檜)


昨年の暮れも押し迫った頃、ふと思い立って奥多摩倉沢の檜を訪ねました。
今から10年ほど前、わたしは奥多摩にはたくさんの巨樹がひっそりと息づいている
ことを知りました。
もともと、巨樹への憧れがありました。最初は、社寺にある巨樹を訪ね歩きました。
まだ、ネット上で詳しく紹介されていたわけでなく、大まかな場所が書き込まれた
絵地図のようなものを頼りに捜し歩きました。

やがて、社寺で守られてきた巨樹よりも、自然の中で逞しく生き残ってきた巨樹に
逢いたいと思うようになりました。
その頃、最初に逢いに行ったのがこの倉沢の檜でした。『自分の足で見つける』
をモットーに、ネット検索はあえてせずに、『倉沢渓谷のどこかの尾根』というのを
キーワードに何度も倉沢渓谷へと足を運びました。
しかし、どこにも見当たらないのです。どうしてだろう・・・?と考えていたある日、
あっけなく倉沢檜への案内板を見つけてしまったのでした。

それは、わたしの探していた渓谷沿いの林道ではなく、山を少し登り上げた尾根に
立っていたのでした。
『なんだ、ここだったの』巨樹への道が伸びる山道を少し興ざめしながら登り始めました。
でも、その千年檜を目にした途端、今、感じたわたしのふとどきな思いを恥じる気持ちになりました。

かつてこの倉沢に集落があり、人々の暮らしがあった頃、この巨樹は人々の心の拠り所であり、
信仰の対象であり、先人たちを見守り続けた偉大な樹、神だったのです。
倉沢大権現の千年檜と呼ばれ、静かにこの地に生き続けて来たのです。
人の一生と樹の一生はサイクルが違います。幾星霜、どれだけの時間を生きて来たのか・・・
思いを巡らせば、気の遠くなるような歳月が流れたことを、黙して語らない巨樹は、
わたしの深層深く語りかけてくれたような気がしました。

それからというもの、奥多摩日原に息づく巨樹に出会う旅が始まりました。
そんなわたしの姿を見つけた人がいました。彼は行き当たりばったりのわたしの行動に不安を覚え、
日原森林館を起点に活動している巨樹探しの仲間に誘ってくれたのでした。
わたしは彼のお陰で、日原の山奥に生き続けるたくさんの素晴らしい巨樹に出逢わせていただきました。

ここ数年は忙しさにかまけて、すっかり日原の山から遠ざかってしまいましたが、
まだまだ出会うべくたくさんの神々が残されているのでした。
でも、もう、この巨樹探しの旅は、ひとつの終わりを迎えることになりました。
わたしを森の巨人たちへと導いてくれた、水先案内人のような森の人は、生まれ故郷へと
帰られる事になったのです。

人にはそれぞれの歩むべき道があり、思いがけない出来事も起こりうることを、
わたしは忘れていました。
いままでの友情に感謝しつつ、友の第二の門出を祝おうと思います。
そんなことがあり、久しぶりに倉沢檜を訪ねたのでした。
千年檜は、わたしのちっぽけな感傷に、やさしく寄り添ってくれました。
また、少しづつ、森の神に逢いに行こうとそう思いました。
ありがとう・・・また、逢う日まで

デジブックにしてみました、よろしければどうぞ。

http://www.digibook.net/d/a994af5f914bbf90f2e21466924a707c/?viewerMode=fullWindow


Published by デジブック
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by kazematikado | 2017-01-05 20:19 | デジブック | Comments(2)
Commented by やまぼうし at 2017-01-11 12:45 x
こんにちは、ご無沙汰しています。
巨木・古木、境内にあってヒトによって守られてきたものもあれば、自然の中で周囲の木々と共存して生きてきたもの。
そんな前に立つと、本当に人間はちっぽけな存在だなと思います。
山奥の古木、かつては信仰の対象であった・・・、注連飾りもなく今はお参りする人もいなくなったのかも知れませんが、きっと心の拠り所にはなっているのでしょうね。
石段が人間との共存の証しのようです。
近年、樹齢数百年という古木が、台風などによって倒れてしまいますが、台風の影響ばかりではなく、環境の変化で木自体に変化が生じてきているのでしょうね。
ポエムと一緒に、良い画像を見させていただきました。
Commented by kazematikado at 2017-01-11 23:37
やまぼうしさん、こちらこそご無沙汰しています。
そうですね、この樹もまた、かつては今は消えた集落の守り神だった訳ですね。
山の中で自然淘汰で生き延びた野生の樹とは少し意味合いが違うかもしれませんね。
山の奥深くに残る巨樹たちには、思い立ってすぐに逢いに行けると言うものではないですよね。
逢いたい樹はたくさんあるのですが、アクセスが大変で、この所逢いに行けていません。
山の案内人がいなくなったら、もう、きっと逢えない樹がたくさんあり寂しさが募ります。
コメントをありがとうございました(^^)


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